KnKにとって、2009年幕開けのイベントとなった
新宿髙島屋での写真展&フェア・トレード。
1月7日(水)からの2週間、広報を中心としたチームも
ボランティアさんも浮き足だち、気がついたら
イベントは終わっていた・・・という慌しさでした。
今回の写真展は、毎年実施している写真展のいわば
集大成的な大規模なもの。折しも、かねてよりご縁の
あった女優の岸惠子さんから、パネルのご提供をいただき、
また写真展へのメッセージを寄せていただけることになりました。
それにはご本人との電話やファックスによる打ち合わせ、
事務所への連絡、パネルの受け取り、メッセージの受け渡し
(結局ファックスでことは足りましたが)などなど、
クリスマスとお正月をはさんで、開催当日の朝まで
電話連絡が飛び交い、携帯のありがたさをしみじみと
感じつつ準備が間に合ったのでした。
さて、本題に戻ります。
岸惠子さんからはこのようなメッセージをいただきました。
『私は十年近く国連人口基金の親善大使を務めておりました。
それ以前も、それ以降も、世界各地で起こる民族や宗教の対立や、
不条理な戦闘に故なく巻き込まれ、家も家族も失って泣き叫び
飢える子ども、男や女を見るたびに身が引き裂かれる思いがするのです。
「国境なき子どもたち」が、世界各地で不幸な子どもや若者が
学ぶことを手伝い、手に職をつける作業に従事されていることを
知り感動しております。
今日、その青少年たちの写真展があることを知り、みなさまが
関心を持って閲覧されることを心から願っております。』
折しも12月27日からイスラエル軍のガザ地区への
空爆が開始され、メッセージ通り
「不条理な戦闘に故なく巻き込まれ、
家も家族も失って泣き叫び飢えるこども、男や女…」
の姿がテレビや新聞で映し出されていました。
岸惠子さんのメッセージからは、ご自身が体験された
1945年5月の横浜大空襲の記憶が浮かんでくるように思えます。
横浜で生まれ育った岸さんが子どもの頃は、戦争下の
厳しい時期だったそうです。その日も、空襲警報が鳴り、
防空壕に入れと怒鳴る大人たち。直感的に大人の手を振り切り、
機銃掃射を避けながら必死で松の木に登る少女。
B-29爆撃機による爆撃や焼夷弾攻撃を受けて、
数時間にもわたり炎に包まれる横浜の街。
内なる声に従ったことで生き延びた少女は、燃え盛る我が家、
街、また防空壕に入った人たちが亡くなるのを目の当たりにしつつ、
自らの声に従って生きていく覚悟を決めたのだそうです。
いつの時代のどんな国であれ、戦争の被害に遭って
逃げ惑うのは、遂行を決めた軍人や政治家ではなく、
特権もなく情報も届かない一般市民であることを身をもって知り、
繰り返し伝えようとする岸さん。ただ美しく、演技がうまく、
フランス語の堪能な国際派女優としてだけでなく、
情報を鵜呑みにせず、常に自分の目で見て、真実かどうかを
確認しようとする姿勢が育まれたのは、フランスでの生活が長く、
それゆえに民族や宗教の対立や和解を日々肌で感じていただけでなく、
少女時代の強烈な戦争体験があるゆえと思います。
また岸さんからうかがったエピソードの中で、
ドラマでピアノを演奏するシーンがあったとき、
演奏時間は1分にも満たないのに、ドビュッシーの
「月の光」が弾けるようにと何日もピアノの先生に
来てもらったとのこと。全てに心を尽くし、
いいかげんにはしないとの気概が感じられます。
年末からの東北でのロケーションや様々な突発的な
用事が入りながらも、「一旦引き受けたことですから」と、
写真展のオープンにメッセージが間に合うように
当日の朝にファックスを送り、そして確認のお電話を
くださった岸さん。
「さすがプロ!」と何気なく口にする言葉ですが、
その重みを噛み締めています。
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