深く考えずに連載ものにしてしまったために
苦しんでおります第三話です。
第一話は私のサエないNGO人生はどのようにして
幕をあけたか、というお話で
2ヶ月後の第二話では、
私がうっかりNGO事務局スタッフという働き方を
選んだいきさつについて書いたんでしたね。
あれから早3ヶ月が過ぎてしまいました。
さて。
当初の構想では、企業とNGO事務局での働き方の違い、
みたいなのを三番目に書くつもりだったようです私。
働き方か・・・全く違う点もあるし、もちろん共通する点も
あるのですけれど。
企業といっても会社によって様々でしょうから、
ここではあくまでも私が大学卒業後1年2ヵ月だけ
勤めさせていただいた心優しい会社との比較になります。
まったく違う点として、私が初日から今日に至るまで
つくづく実感しているのは、今の職場には
仕事にマニュアルのないところでしょうか。
NGOという労働環境としては新しい場所で、
しかも設立当初から働くなら前任者もいないわけです。
目標はあっても、どう到達するか、
実務的かつ具体的な前例はどこにもないのです。
ですから、私は2つのNGOを渡り歩いていますが
人から仕事のやり方を教えて貰ったことがありません。
もちろん、そのときそのときに出会う人々に助けられ
気付かされ、導かれてきたことは間違いありませんが、
いわゆる仕事の手順、俗に言う『マニュアル』は
一度も見たことがありません。
NGOでは、毎日毎日、自分の頭で考えるんです。
最初に勤めた一般企業では、当然のことながら
私の教育担当としてのお姉さん社員さんがいました。
そして、仕事の手順をこと細かく教えてくれました。
営業マンさんから電話で指示があったら、①タイプライターでこの書類を作る②三枚コピーする③それぞれに手書きサインする(サインしてから3部コピーするのではダメ)④電話で○○の手配をする⑤○○の番号が決まったら次にこの書類を作る⑥△時までにそれをどこそこへFAXする⑦営業マンさんが箱を持って営業所に戻ってきたら、箱のマークをチェックする・・・
朝から晩までこれの繰り返し。
若干のバリエーションはあっても
イレギュラーなケースはなし。
ひどくつまらんのう。と思ったものでした。
あのままあの会社にいたら、12年後の今ごろは
血湧き肉踊るお局さまになっていたかしらん・・・?
どうだろう、わかりません。
しかし。
学生時代も死守した門限10時が残業のために守れない、
配属先が自宅から下り列車で1時間じゃあ
平日夜に学校にも通えない、
友だちとの飲み会にも間に合わない。
門限破りで親に怒鳴られる毎日、
当日ドタキャン続きで友だちの集まりにもだんだん
声をかけてもらえなくなり、
あれほど好きだった語学の勉強も続けられない。
引き換えにタイプライター打って受け取る
月額187000円にはどういう意味があるんだ?
ウン十年も黙って毎朝通勤するお父さん方は偉大だ、
とつくづく思いました。
そして、日本はそういう人々によって支えられてんだ、
とつくづく思いました。
けれど、年賀の挨拶に交じって記された転職のお誘いに
一秒も迷わなかったのはなぜだろう?
今振り返ると、たぶん2つの思いがあったと思います。
まず、どうせ自分の大切なものを犠牲にして働くなら
お金儲け以外の理由がほしい。
自分なりに大きな犠牲を払って仕事するのに、
得られるものが月給だけ、というのは
金額の大小にかかわらず、残念だと思いました。
そしてもうひとつ、
自分の頭で考える仕事がしたかった。
陳腐な表現で言うならば、「会社の単なる歯車」には
なりたくなかった。
でも今振り返って思うには、どんな業種で働いても、
複数の人数で働くならば一人一人が歯車だし
どんな職場でも、創意工夫の余地がある。
でも愚鈍な23歳にはわからなかったのです。
そして、この「自分の頭で考える」って、
昭和40年代後半の日本に生まれ、
ごくごく一般的な教育を受けてきた凡庸な私には、
かなり新鮮な行動なんですよね、今日に至ってもなお。
後々、この部分にこんなにも悩まされるとは
思いませんでした。
頭が働かずもがき苦しむ私の姿は・・・
4ヵ月後くらいにまたブログでご紹介するかもしれません。
posted : 2007-05-22 15:18:29
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