前回ブログを書いてから早2ヶ月が経ってしまいました。
第一話は私のサエないNGO人生はどのようにして
幕をあけたか、というお話だったかと思います。
今日は、私がNGO事務局スタッフという働き方を
選んだ理由、その背景について書いてみたいと思います。
私は大学3年の頃からNGOの事務局でお手伝いを
していましたが、当時は、NGOに就職するなんて
酔狂な考えはとても検討に値するような時代では
ありませんでした。
私が手伝いに通っていたNGOでも有給のスタッフは
ほんの若干名で、かなり重要な根幹に関わる業務まで
学生ボランティアが担当していましたし、有給といっても
お給料が相当ちんまりとしているらしいことは
事務所の家屋その他の雰囲気からも明らかでした。
そして、なによりポストに空きがあったとしても
新卒が採用されるような状況ではなかったのです。
そんなわけで私は大学4年の夏に人並みな就職を決め、
12月締切の卒業論文を提出してしまうと、後はもう
卒業するまでやることが何もありません。
お正月からは毎日ボランティア来ますんで、と
勝手に決めていた所へ起きたのが、阪神大震災でした。
朝起きてニュースを聞き、あの事務所も医療援助団体
というからにはいつもより忙しくなるかな?と
駆けつけてみると、木造モルタル二階建てはすでに
私と同じように考えたらしい人でいっぱいでした。
文字通り、上へ下への大騒ぎ。
あぁぁこの状況で私にできることって・・・
ウロウロしていたら、フランス人の事務局長が
私を指差して、『お前はテレビ見とけっ!』と怒鳴るのです。
はぁ、テレビ。
えっとそれなら私にも見られますけど。
『テレビのニュース見て、被害状況をホワイトボードに
デカく書き出してって!』
おぉぉそれならお役に立てそう。と思ったのが大間違い。
あの日、ニュースで伝えられた被害状況は、迷走しつつも
ものすごいスピードで増え続け、数字も地名も
ホワイトボードに書いちゃ消し書いちゃ消しするばかりで
午後あたりにはもう、書くことに意味あるんかいな
といった有り様でした。
事務所に備え付けの全国道路地図みたいな、たいして
詳しくもない地図帳の阪神地区のページで被災地域に
色塗ったり印を付けるのもやらされましたがそのページも
あっという間に真っ赤っ赤になって意味をなさなくなり、
蛍光ペンがしみて紙がフニャフニャになった上に
いろんな人からちょっと見せて、こっちに貸してよ、と
引っ張り回されているうちにビリビリに破れてしまい、
とにかく地図買ってきて!との怒号を背に、
鉄砲玉のように事務所を飛び出したのを覚えています。
こうしてその日から4月の入社式の日まで、私の毎日は
神戸の震災救援一色となったのです。
いろんな仕事やりました。
医薬品、チョコレート、毛布、水のいらないシャンプー、
カセットコンロ、肌着・・・思いつく限りの品物に関し、
メーカーや扱っている会社を電話帳で調べ、片っ端から
電話して「神戸へ送る救援物資ください!」と
お願いして回ったり、それらを集め神戸まで
運んでくれるトラックを探したり。
どんな品物集めろとか、どこへ電話して頼んでみろとか、
誰も指示くれません。自分で考えて、自分で動く。
まもなく現地に無料診療所を設置したので、そこで
診察・治療にあたってくれる医師や看護師を探したり。
当時、そのNGOで海外活動地へ派遣されてもいいよ、と
登録されていた医療従事者は全国で110名ほどだったと
記憶しています。今のように携帯やメールで連絡のつく
時代ではありません。室蘭から鹿児島までひたすら
電話、電話、電話、です。
本人にかけ、勤務先にかけ、実家にかけ、朝かけ夕方かけ
夜中に自宅からかけ、とにかく診療所が24時間体制で
最低一人は医療従事者が詰めているようシフトを組む。
病院単位でご協力くださり看護婦さん2名を長期に渡り
派遣してくださった所もある一方で、登録者の大半は
病院勤めでしたから、毎週ご自分の休みの前夜から
一泊一日だけなら行かれるとか、夜勤明けに日中だけ
神戸へ行ってとんぼ返り、といった形になる方が多く、
綱渡りのシフトをひたすら組み続けたのです。
私には荷の勝ちすぎる役割でしたが、そのときは、
その場にいて時間を割ける人が目の前の仕事をやる!
という勢いですべてが動いていたのです。
そしてこの3ヵ月弱で私は、医療援助という活動でも
専門家が力を発揮するために凡人にもできることが
たくさんあると、身をもって知ってしまったのでした。
そして4月。
晴れて社会人となった私には、「人並み」の会社で
日がな一日タイプライターを打つばかりの事務員暮らしが
退屈で退屈でたまらないように思えてしまったのです。
今にして思えば愚かなことですが。
そのNGOにも週末のイベントに顔を出す程度しか
関われなくなり、とにかくお仕事つまらーん!と
クサクサしながら迎えた社会人一年目のお正月。
配達された年賀状の束の中に、その一枚はありました。
あけましておめでとう。
今度スタッフが一人辞めることになったんですが
よかったらきませんか。
今年もよろしく。
このようにして私はNGO事務局スタッフという働き方を
うっかり選んでしまったのでした。(以下次号)
posted : 2007-02-19 18:30:04
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